最後だとわかっていたなら

「最後だとわかっていたなら」という詩が、本日1/17(火)の朝日新聞夕刊に紹介されていた。
作者は、子どもを不幸にも亡くした米国人女性のノーマ・コーネット・マレックさんで、米国同時多発テロ後の番組や集会でも多く朗読されたもので、日本ではサンクチュアリ出版から佐川睦氏の訳で出版されている。この詩の中には次のような一節がある。
明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろう


(中略) 忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのか

作者の場合は子どもが亡くなったが、50歳差のあるpapa50がもあちゃんより先に亡くなることは疑う余地もない。しかもこのところの忙しさで、もあちゃんと時間を共有することも、願いを叶える時間も極端に少なくなってしまっている。
忙しさは理由にできない。忙しさを理由にするなら、忙しくない環境に身を置いてもあちゃんと対峙すべきだろう。そして何より、明日が来ないかもしれない思いで、今できることをしなければ…と改めて考えさせられた。
今日は阪神大震災から17年目の1月17日。

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