TOKYO 2020

56年ぶりに東京にオリンピックがやってくることが、日本時間の9月8日(日)の早朝に決まった。
立候補した都市にそれぞれの事情があるものの、イスタンブールやマドリードとの招致戦で命運を分けたのは最終プレゼンテーションだったように思う。プレゼンに先立ち、高円宮妃殿下が震災復興支援への謝辞を述べられ、プレゼンターは、佐藤真海(パラリンピアン)、竹田恆和(招致委員会理事長)、水野正人(招致委員会副理事長/専務理事)、猪瀬直樹 (東京都知事/招致委員会会長)、滝川クリステル(招致“Cool Tokyo”アンバサダー)、太田雄貴(オリンピアン/招致アンバサダー)、安倍晋三 (内閣総理大臣)の各氏だった。
ネットで改めて動画を観た。どのプレゼンも印象的だったが、その中でも走り幅跳びでパラリンピックに出場経験のある佐藤真海氏さん(サントリー)が、スポーツの力を訴えたことは記憶に残った。彼女は気仙沼市出身で、骨肉腫にかかり右足を膝元から切断している。東日本大震災では実家が被災した。さまざまな経験から、スポーツの持つ「新たな夢と笑顔を育む力、希望をもたらす力、人々を結びつける力」をプレゼンした。
特に印象に残ったフレーズは、「私にとって大切なのは、私が持っているものであって、 私が失ったものではないということを学びました。」というところだ。人はとかく失ったものばかりを気にして落胆するが、失っても無くならない本来自分が持っている大切なものを見失いがちだ。彼女のあまりにも壮絶な経験が、五輪を招致させる原動力の一つになったことは疑う余地はない。
TOKYO 1964の時、パパは6歳だった。TOKYO 2020の時、娘は12歳で小学校6年生になっている。その年齢なりに、スポーツの持つ力を感じとってほしいと願う。

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