もあちゃんが生まれる前の50歳手前から、デスクワークでは「リーディンググラス」(いわゆる老眼鏡)のお世話になっている。
そんな状況の中で50歳になる直前、もあちゃんが我が家にやってきてから、育児やお世話で不自由に思ったことがいくつかある。今日はこれを紹介したい。
①オムツの交換
今使っているパンパースにはテープがある方がお尻側だが、テープが見えにくく前後を間違えそうになった。数回間違えたかな?せめてもっとはっきりした色だったら…。
②ロンパースのスナップ
ロンパースの下の部分には、スナップが最低3個以上付いていることが多い。これが小さくて見えないので、いつも悪戦苦闘する。掛け違いはしょっちゅう。特に就寝前など、薄暗い場所で着させるときはカンだけが頼りだ。
③顔・表情
老眼になると近くが見えづらい。当然のことながら、赤ちゃんだった時から抱っこしたわが子の顔が見えづらい。パパだけに向けた笑顔や微妙な表情も見逃して致命的…。
④爪きり
最初はママに任せきりだった爪きり。深爪ぎみのpapa50もたまにはお手入れに参加。これはもう最初からあきらめて老眼鏡必須だ。
こうした不自由さだけでなく、定年後も働き続けなければならないことなどを仮に「影」と呼ぶなら、「影」があることは必ずどこからか差し込む「光」があるということだ。「影」を感じる以上に「光」の方を向いて、もあちゃんと関わっていくことが必要なのだろうと、急にマジメになってしまうpapa50。
もっとも、もあちゃんの存在自体がすでに「光源」そのものなんだけどね…。