東北・太平洋沖地震の日

会社で勤務中の15時前、突然会社のビルが大きく、しかも長く揺れ始めた。静岡生まれのpapa50でもいまだ経験したことのない、大きな地震で揺れている間は生きた心地がしなかった。
Telecomcenter bilding-fire.jpg窓からは黒煙を上げるビルが見え、電話はかからず、携帯メールもやりとりに時間がかかるようになった。首都高は止まり、地下鉄や私鉄、JRは一斉に運休となった。余震が続いたしばらくの間は会社にいたが、17時過ぎに帰宅しても良いことになり、20階近い階段を降りて、ハザードマップを思い描きながら家路についた。経路は、新橋⇒虎ノ門⇒赤坂見附⇒青山⇒表参道⇒代々木公園⇒代々木上原⇒羽根木⇒松原だ。もっと近道の経路があるかもしれないが、首都高が通る六本木通りは阪神・淡路大震災の光景が脳裏をかすめ避けた。
akasama.jpg新橋周辺にはすでに多くの人たちであふれ、道路もひどい渋滞でほとんど動かない状態が続いた。タクシーは実車か回送のみ。唯一都バスが運航していたが、バス停には長蛇の列、車内も満員で乗れるような状態ではない。幹線道路の両脇には、今まで見たことのないたくさんの人波がどこまでも続いていた。携帯電話が通じないので、公衆電話も家族と連絡を取り合うために長蛇の列。吉野家ではヘルメットを被った女子が、牛丼を注文していた。コンビニでは弁当類が品切れ、トイレに並ぶ長蛇の列が目立った。東松原の駅まで来ると、京王井の頭線の各駅電車が、車内の電気を消して駅のホームに停車していた。
新橋から自宅まではやや速足で2時間15分。万歩計によれば、1日だけで約2万歩、うち131分間の約15,000歩はしっかり歩行だった。それでも消費カロリーはたった473kcal(33.4g相当)、歩行距離は約12km。重めのカバンで肩と腰、足の指も痛くなったが、まだ家路の途中の人や、帰れない人達のことを考えると、痛いなどと言っていられない。
もあちゃんとママは、たまたま羽根木公園にママ友達と一緒にいて事なきをえた。家ではフレブルのプーちゃんが留守番中で、帰宅したら震えていて、しばらくリビングに上がって来なかったようだ。棚から写真立てや一部の本などがごく一部落ちた程度だったが、寝室の扉が開いていたそうで、揺れの激しさを物語っている。余震はまだ続いている。
過去経験したことのないスゴイ地震。今回の地震によって、岩手県から茨城県に至る南北400キロ、東西200キロの断層帯が破壊された可能性が高いそうだ。だとすれば、日本海溝のほぼ全域が同時に壊れたことになり、天変地異の恐ろしさを感じる。各地の被害が小さいことを祈りたい。

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